アブド・アッラフマーン1世(Abd ar-Rahman I、731年 - 788年)は、後ウマイヤ朝の初代アミール。ウマイヤ朝の第10代カリフ・ヒシャームの孫(在位:756年 - 788年)。
731年、ダマスカス郊外にて生まれた。750年、アッバース朝によってウマイヤ朝が滅ぼされたとき、ウマイヤ朝の王族の多くは虐殺されたが、アブド・アッラフマーン1世は命からがらシリアから脱出し、旧臣に守られながらモロッコまで逃走した。その後の755年、ウマイヤ朝旧臣の援助を得てイベリア半島に勢力基盤を築き上げ、翌年にはコルドバに入ってアミールに即位し、後ウマイヤ朝を建国するに至ったのである。
即位後は国内安定化のため、王朝に反抗的な勢力を徹底的に弾圧した。しかしこの弾圧により、反抗的勢力の一部がフランク王国のカール1世(大帝)に援軍を要請したため、フランク軍の侵攻を受けることとなる。一時はウマイヤ軍も危機に陥ったが、778年にサラゴサを攻めることでフランク軍を撤退させることに成功し、これにより国内の基盤を磐石なものとするに至ったのである。ちなみにこのときのアブド・アッラフマーン1世の勝利は、12世紀にフランスの武勲詩『ローランの歌』で絶賛されている。788年、58歳で死去し、後をヒシャーム1世が継いだ。
アブド・アッラフマーン1世は少年時代の逃避行における苦難のおかげか、智勇に優れた優秀な人物として成長を果たし、周囲からは『クライシュの鷹』と称されて恐れられた。また、文学においても才能を発揮し、多くの詩歌やモスクを作るなど、彼の時代に後ウマイヤ朝は大いなる発展を遂げたのであった。
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